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改めて思う-塀と壁と橋

現研主任研究員 萩野齊之

塀と壁。広辞苑によれば、塀は家屋敷などの境界とする囲い。壁は障害物として他を排除するもの、江戸時代には野暮・無粋を言った言葉・・とある。
塀の中と外というと、その塀は刑務所の塀をさし、塀の上を歩いている状態とは、バランスを失うと中(刑務所)へ落ちるような法律すれすれの行いをしていることを指す。

ここで取り上げるのは、塀ではなく、壁である。壁が付く言葉には、“言葉の壁”“人種の壁”“心の壁”“宗教の壁”など多くの用法があるが、ここでは物理的な壁・城壁のような外からの侵入を防ぐための構造物のことである。
これらの構造物は、外からの侵入を防ぐためにはある程度の効果があるが、内側から外へ出ていくにはまことに厄介な代物である。
壁は必ず突破されるし、平和が訪れると厄介な邪魔者になる。ローマ帝国時代の壁は、一部が文化財として残されてはいるが、ローマ市中心部では交通の邪魔だとして殆んどが撤去されている。万里の長城も今では観光的な価値しかない。トロイの壁も戦利品の木馬を入れるのに邪魔となった城門を城兵が自ら壊し、木馬の中に潜んでいた伏兵によって陥落させられた。最近ではベルリンの壁が撤去された。要するに平和になれば邪魔ものなのだ。

ところが、新しく壁を作っている国がある。イスラエルによるパレスチナの壁・東ヨーロッパの難民排除の壁などに加えて、大真面目に米墨国境の壁を作ろうとしている。聞くところによれば、カナダと米国の間に新しく壁を作ろうという話が出ている。メキシコから米国を縦断してカナダに蜜入国する人々を防ぐためらしいが、いったん入国してしまったら強制送還はしないというカナダの方針は変わらないようだ。

どんなに頑丈な壁を作っても、必ず穴があけられる。国境を越えようとする人々のパワーを力で抑えるのは不可能だ。蟻の一穴から堤防の決壊が起こる。壁は作った瞬間から取り壊される運命にある。
それが分かっているはずなのに、凝りもせずに壁を作る。日本人には壁という概念が無かったようだ。関所や堀は作ったが、壁と呼ばれる構造物は城の石垣程度だ。

壁を作らなければ侵入を防げないのは、政治の失敗だと思わないのだろうか。政治というソフトの限界を物理的な壁というハードで防ごうと思ってもしょせん無理なのだ。
臆病者ほど頑丈な壁を好む。壁に囲まれていれば一時的には安泰だが、兵糧攻めにあったらせいぜい2年しかもたない。臆病が高じて「攻撃は最大の防御」として核の先制攻撃を目指して外国を脅そうと思っても、手の内は読まれているのですよ。
今の各国の指導者は、全員が第2次世界大戦を映像でしか知らない世代だ。戦死者が出ても、それを統計上の数としてしか捉えられない指導者にとって、戦死者の家族の悲しみは理解できないだろう。壁の構築のほかに打つ手はあるはずだ。
ローマ法王がトランプ大統領に言った言葉「壁より橋を!」は名言だ。壁がすぐ戦争に繫がるわけではないが、殺し合いが始まる前に壁を撤去する方が勇気がいるようですね。これからの英雄は壁を撤去し、橋を造る指導者のほうに軍配が上がるでしょう。 

(現研コラム「Information At Random」[産検リポート№361 2018年3月]より)