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ジョブ型雇用への移行の条件

現研所長 大槻裕志

エコノミック・ターミネーションと整理解雇の4要件

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自民党総裁選でも雇用の流動化が論点となり、その文脈から派生してジョブ型雇用が巷間議論されました。すでにジョブ型への移行をジャーナリズムに発表している大企業群もあります。ジョブ型雇用への移行は企業経営の重要な関心事の一つでしょう。

いろいろな場面で「欧米のような職務を基軸とするジョブ型の雇用システムに転換すべき」と「欧」と「米」が一括りにされることも多いようです。確かに「ジョブディスクリプション(職務記述書)に職務内容や目標、責任等を明確に定めて雇用契約を締結した上で、職務内容や役割に見合った給与(職務給)が与えられる」という点はヨーロッパも米国も一緒です。

しかしその背後にある経営のロジックや実際に運用においてヨーロッパと米国ではだいぶ相違があり、ヨーロッパの国々でも差異は存在します。

経団連は、近年、雇用の流動性を高めることに言及しておりますが、米国流のジョブ型雇用を意識しているのは明確ですし、雇用の流動化を主張する論者の皆様も米国の雇用慣行を念頭に置いている人たちが主流です。

ですから、今回は日本と米国の雇用環境と組織風土の違いを論じながらジョブ型雇用を考えてみたいと思います。

まず米国という社会の中でどのようにジョブ型雇用が機能しているか。

米国ではジョブディスクリプションは、事実上の職務契約書の一環を形成しています。言い換えると、結んだ契約の職務内容に応じて職務給が決まります。

事業撤退や組織改編で契約したジョブ(職務)がなくなることがあります。これはジョブ(職務)がエコノミック・ターミネーション(経済性の終焉)を迎えたことを意味します。職務そのものがなくなるのですから、そこで会社側が社員に雇用契約の解除を告げることができます。

エコノミック・ターミネーションの論理は企業合併にも適用されます。2つの会社が合併します。同じ地域にあったそれぞれの会社の支店が統合されて1つの支店になりました。そうすると支店長のポストは二つ要りません。支店長という職務が一つ減るのですから、そこで片方の支店長にやめてもらうのは米国の常識では普通です。

日本の場合の企業合併では両社の従業員をそのまま引き継ぐことが普通です。ですが、そうするとコスト面での合併効果はすぐに出てこないことになります。

エコノミック・ターミネーションという考え方で進む雇用削減は、日本における整理解雇の4要件(①人員整理の必要性②解雇回避努力義務の履行③被解雇者選定の合理性④解雇手続きの妥当性)に比べてハードルは低く、したがって米国は時代や市場の変化に即応して事業の再編成が機動的に進むという言い方がなされます。

そのような状況下でジョブを失った人たちは、日本で職を失った場合にくらべて深刻ではありません。その会社がその事業から撤退したり、特定の組織業務を廃止しても、市場からその事業が消えたり、産業界からその職務への需要がなくなるわけではありません。成長しているセクターや企業では、そのような職務への旺盛な需要があり、それらの人々の雇用を吸収していきます。そして米国にはそのような労働移動を調整できる分厚い労働市場があります。このようなかたちで雇用が流動化すれば成長セクターに人材が移動していくことにもつながります。

日本の雇用契約をジョブ型にして雇用の流動化をはかり、成長市場への労働力のシフトを促進すべきだという論理はこのような米国の雇用慣行や労働市場の動態を根拠にしています。経団連もこの立場に立っているように見えます。

ジョブ型雇用へシフトする会社の狙い

ここまではジョブ型雇用がなぜ雇用の流動化に結び付くのかについて米国流のジョブのエコノミック・ターミネーションの考え方に基づいて説明しましたが、今、ジョブ型を志向する会社が増えているのはそれが理由、あるいはそれだけが理由ではないでしょう。

いくつか狙いを挙げてみます。

  • 社員の職務をジョブディスクリプション(職務記述書)で規定し、社員本人の描くキャリアデザインと整合性をとり、優れた高度専門職を育成する。
  • 職務限定正社員のキャリアデザインを構築し、職務限定正社員としてのキャリアを選択する社員を増やし、本人の価値観と会社の求める職務との整合性をとり、働きがいのある会社をつくる。
  • 昇進体系と賃金体系における年功序列の旧弊を脱し、職務の水準で昇進・昇格を判断し、報酬も職務に見合ったものにする。
  • 職務に応じた報酬水準を明確にし、同一労働・同一賃金の原則に近づけていく。
  • 人に仕事(職務)がつくのではなく仕事(職務)に人がつくという考え方に意識を変革して、仕事の体系と人事運用に切り替えていく。
  • 仕事の属人化から脱する、あるいはそれを予防する。
  • 人材採用方式を、社員を募集する新卒一括採用からジョブ(職務)を募集する通年採用に切り替える。
  • グローバル経営のシステム整備との一環として、グループ企業の全ジョブ(職務)を記述し、ジョブグレードを定め、グループの職務体系を明らかに、グループ内の人材異動とキャリアデザインを活性化する。

どのような理由でジョブ型に移行するかどうかは会社ごとに相違があると思いますが、出発点は「ジョブディスクリプション(職務記述書)に職務内容や目標、責任等を明確に定めて雇用契約を締結した上で、職務内容や役割に見合った給与(職務給)が与えられる」であることは各社共通です。

では日本で一人ひとりのジョブディスクリプション(職務記述書)をきちんと整備して雇用契約を結び、それに見合う職務給を払う。その制度を運用すれば上で挙げた狙いを達成できるか?

そう簡単ではないと思います。ジョブ型雇用の経営を阻む体質を日本の企業は根強くもっています。

海外の現地法人、買収した海外の会社で、その国の経営慣行を尊重してジョブ型雇用、職務給の体系で運営している会社がたくさんあります。グローバル化が進んでいる会社ではジョブ型雇用は身近な制度であるとも言えます。

ジョブ型雇用が機能するための条件を米国の会社を例にとって考えてみます。

米国の現地法人で部下に新たな仕事を命じた時に、ジョブリストに新たな仕事が加わるのだからその分の給料を上げて欲しいと言われた経験をもっている駐在員が少なからずいます。日本の会社の中ではまずそのようなリアクションは起こらないでしょう。

米国ではジョブディスクリプションは労働に関する取引契約なのですから米国人社員の態度は当然です。

日本でジョブ型の移行を検討し、ジョブディスクリプション(職務記述書)を整備しようとしている会社にはその覚悟が必要です。

日本の企業に意識して欲しい点があります。それは米国企業の社員にとっては普通のことなのですが、自らの職務とその環境条件、そして給与水準について社員は会社に交渉する権利があるということです。先ほど例に示した仕事を新たに命じられた社員の例もそうです。日本で年俸制、とくに管理職の年俸を採用している会社が少なくありませんが、それは特定の成果基準で一年ごとに報酬を決めていくシステムであって、会社と管理職が報酬水準について交渉するしくみではありません。

やる気のある社員ほど自らのキャリアビジョンをもっており、主体的に自分のキャリアを築こうとしています。そして場合によっては転職も視野に入れて、自らの望む処遇や報酬を交渉で手に入れようとします。会社側もそうであることを当然視して少なくとも話を聞く姿勢を示します。交渉の結果、社員の希望がかなうかどうかは、その社員の実力、社における必要性、本人の将来性などを反映することになるでしょうが、社員が自らのキャリア形成に主体的であることを尊重するマネジメント風土が普通にあります。

さらにそのような交渉を可能にするのは日本とは比較にならないほど豊かな労働市場の存在です。自分の職務実績と能力に自信があればいざとなれば転職すればいいと腹を括ることができるし、すでに次の転職先で採用されそうな目安を付けてからそこの条件と天秤にかけて強気の処遇や報酬の条件闘争をすることも少なくありません。

ジョブ型雇用へのシフト-会社側も相当の覚悟を

結論に入ります。

米国型のジョブ型雇用を日本が目指すとしたらどうすればいいのか。

 「ジョブディスクリプション(職務記述書)に職務内容や目標、責任等を明確に定めて雇用契約を締結した上で、職務内容や役割に見合った給与(職務給)が与えられる」というかたちをつくり、それを運用していくことはそれほど難しいことではないはずです。

職務を格付け(ジョブグレードを設定)し、それぞれの職務についてジョブディスクリプション(職務記述書)を整備し、そこに社員を貼り付けていく。この時、社員は自分の職務と報酬について交渉したり、条件闘争したりすることができるのでしょうか。また、ジョブディスクリプション(職務記述書)にない仕事を命じられた時に、それを拒否したり、報酬のアップを要望したりすることが普通のこととして受容されるのでしょうか。

ジョブディスクリプション(職務記述書)を整備することを宣言している企業に、その覚悟がなければ、ジョブ型雇用を通じてキャリアを向上させていこうとする社員が育つことは期待できません。社員との信頼関係を壊すことにもつながるでしょう。日本の場合、会社と社員の交渉において会社が強すぎるのです。

私自身の立場を表明させて頂ければジョブ型雇用に対して賛成でも反対でもありません。会社ごとに自社の在り方をとことん突き詰めた上で決めればよいと考えています。しかし、ジョブ型雇用へのシフトに当たり、会社側が自ら変わることなく、社員にのみ変わることを要求することがあってはならないと思います。

そのような観点から、会社がエコノミック・ターミネーションの考え方―職務がなくなったのだから雇用関係もなくなる―をどんどん活用して良いはずはありません。それは分厚い労働市場をもつ米国社会だからこそ許される論理なのです。その意味でジョブ型雇用により解雇をしやすくする、雇用の流動性を促すという国家、産業レベルの政策形成には大いに慎重であるべきです。

よいジョブ型雇用は、社員の主体的なキャリアビジョンを基礎にし、社員が会社と働き方と報酬を交渉できる風土の中で効果を発揮すると思っています。

その点をもう一度整理すると以下の通りになります。

  • 社員が主体的にキャリアビジョンを描き、会社の期待との整合性をとり、未来像をつくり上げること
  • 職務や働き方について社員と会社と十分に話し合い、納得できる職務と働き方を選べること
  • 社員が挑戦したい職務や得たい報酬を会社と交渉することが当たり前である風土

以上についてはジョブ型への移行をめざす会社に限らず、従来型の雇用システムを維持する会社を含めた日本企業全般に求めたい風土改革です。

すぐには無理でしょうが、長期構想にこの組織風土改革の思想を組み入れて少しずつそのような風土を醸成していくことが大切だと思います。

以 上

アクティビストファンドをどうとらえればいいのか

現研シニアコンサルタント 越部 実

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既にかなり多くの日本の企業にアクティビストが入ってきています。一番有名な事例はオリンパスです。オリンパスではアクティビストをボードメンバーにして実際の経営を一緒にやっています。

アクティビストは、「物言う株主」とも呼ばれ、株主としての権利を積極的に行使して、会社に影響を及ぼし、会社を変えていこうとする投資家の総称をいいます。経営陣に対しても経営とか資本戦略などを提案することで、投資先企業の価値を高めて最終的な利益を得ようとする者であり、その提案内容は増配等の株主還元や事業売却、経営陣の刷新など多岐にわたります。

M&Aに係る投資ファンド会社の中で積極的なアクティビストとして活動するファンドを「アクティビストファンド」と言います。

アクティビストファンドが狙う企業はどういう企業でしょうか。その特徴は、対象企業に存在する3つの「V」の字があると言われています。

1つはVarietyで本源的価値を顕在化させる手法が複数考えられるという意味のVarietyの「V」です。

2つ目はValueで市場価格が本源的価格と比較してディスカウントが生じている。つまり本当はもっと高いのではないか。そのValueが下がっているのではないかの「V」です。

3つ目はVoteで、株主投票で勝てる見込みがあるということです。アクティビストファンドは、株式のマジョリティがファミリーで固められたところには入っていかないわけです。いわゆる機関投資家が大勢を占める会社に入っていきます。機関投資家はアクティビストと同じように企業に株価を上げて欲しいと願っているので、アクティビストファンドの提案に加勢をしてくれる可能性が高い。つまり、企業価値を上げる提案にはVote=投票してくれるので、そこでは勝つ見込みがあると読むわけです。

これがVariety, Value, Voteの3つの「V」です。                        

では、アクティビストがチェックするポイントは何かということですが、例として10個ほど挙げました。

  • M&Aトラックレコード:過去のM&Aの実績(市場からの評価が高くないM&Aを行っているか、強固なバランスシートにも関わらずM&Aを実行していないか)
  • 「隠れた」資産:市場が織り込んでいない重要資産をもっているか、不動産を大量に持っていないか
  • 市場の混乱=イベントドリブン:株価に一時的な急落をもたらす事象が発生していないか(CEO退任、訴訟、不正会計、等)
  • 上場意義:上場を維持するコストに見合う市場価値を実現できているか
  • ガバナンス:過度に集約していないか(会長とCEOの兼任)、経営陣への報酬が過度に高くないか
  • 株価パフォーマンス:Total Shareholder Return(TSR)のパフォーマンスが低くないか、同業他社に劣っていないか
  • バリュエーション:市場価格が(本源的価値と比較し)過小に評価されていないか、マルチプル(EV/EBITDA倍率、PERなど)が同業他社比で低いか
  • バランスシートの状態:余剰キャッシュを持っているか、デッドキャパシティを活用していないか
  • 業績パフォーマンス:売上成長率や収益性、効率性が同業他社に劣っていないか
  • 事業ポートフォリオ:ノンコア事業を保有しているか、相乗効果のない事業同士を持ち合わせているか

他にもありますが、以上が大きなチェックポイントとなります。

有名なアクティビストを4つご紹介します。

  • サードポイント(米):ダニエル・ローブ氏が率いる。2013年には米ヤフーCEOを辞任に追い込み、企業価値を上げた後、保有株を自社株買いさせて約6億ドルの利益を得ました。ダウ・デュポンの合併、分割にも大きな役割を果たしています。
  • 旧村上ファンド(日本・シンガポール):「村上ファンド」の主催者・村上世彰氏は、通商産業省(現・経済産業省)の出身。通産省を退官して投資ファンドを設立しました。
    現在も村上世彰と絢親子が率いるC&Iホールディングス、レノなどの旧村上ファンドグループは、対象企業への執念深さで企業に恐れられています。
  • エフィッシモ・キャピタル・マネジメント(シンガポール):旧村上ファンド幹部の高坂卓志氏ら3人が2006年にシンガポールで立ち上げました。
    日本株の推定運用額が1兆円を超え、日本株を対象としたアクティビストファンドでは最大規模を誇ります。
  • エリオットマネジメント(米):弁護士のポールシンガー氏が1977年にニューヨークで設立。日本株内の運用資産額は1,400億円に過ぎませんが、グローバルでは4兆円超を運用する世界最大のアクティビストファンドです。日本で株主提案を行ったことはなく、TOB提案に介入して高値で売り抜けるケースが多くなっています。

ファンドのカテゴリーによって投資対象の株式の保有割合が違います。

  • ヘッジファンド      数%~10%
  • アクティビストファンド   数%~20%
  • バイアウトファンド       50%以上
  • 企業再生ファンド      50%以上

企業再生ファンドは、マジョリティを取って再生をしていくことを行います。バイアウトファンドは50%以上としておりますが、殆どの場合100%で買収をして企業価値を高めて収益を得ています。

一方のアクティビストファンドは、あくまでもイベントの利用者に過ぎず、狙った企業の業績が悪くて株価が下がったとしても、信用の売り(空売り)などの手法を狙って利益を狙うこともあります。

アクティビストファンドは超過リターンの獲得にコミットするということでアクティビストファンドが投資している期間中は約37.4ポイントの株価パフォーマンスが上がります。ですから、アクティビストが入ったことが分かると、アクティビストでない方も株を買って株価はどんどん上がっていくということになります。そして、アクティビストが出た後は、株価が下がるケースが非常に多く、約12ポイント下落するとのことです。

アクティビストファンドの目的はあくまでも超過リターンの獲得であり、ガバナンスの改善等は究極的な目的ではない点に留意しなければなりません。アクティビストファンドにおいて“勝利”とされるリターンの目線はだいたい20%前後の利益を出すとされています。元が100%としたら120%で抜けていくということがアクティビストの標準のようです。

アクティビストファンドは、当然、厳しい要求を経営に突きつけます。公開要求事例数については2014年から2018年の5年間で約1.5倍増加しています。

対象会社の所在地は、アメリカの企業が全体の約60%、ヨーロッパが16%、アジア(日本を含む)14%、その他が10%となっています。

日本を含むアジアについてはこれから活発に再編が起こる最大のマーケットと言われています。アクティビストファンドに限らず、プライベートエクイティのブラックストーン、カーライルも、日本ではこれから再編が起こるということで、大きな金額を集めて今活動をし始めました。このように日本の再編を嗅ぎつけて日本にお金が集結しているのです。

(2020年12月18日 第57回総合研究会リポートより)

以 上

新元号を迎えて-ご長寿に学ぶ

現研主任研究員 荒井幸之助

今年も帰省先の新潟で新年を迎えました。初詣は、近所の地域で最も古くからある神社と決めています。眠い目をこすりながら、この儀式のために頑張って起きている長男と一緒に向かいました。神社に入る少し前から踏み固められた狭い雪道を通って、時々、お参りを済ませた方とすれ違いながら境内に進みます。

無事にお参りを済ませ、また来た道を戻ります。その時に必ず目に入る、大きな杉の木があります。しめ縄が施され、雪の中、どっしりと腰を下ろした太い木の幹は、まるで大相撲の横綱が、その地にしっかりと足を下ろして我々を守ってくれているようで、何とも言えぬ安心感と、神々しさ、畏怖の気持ちを抱かせます。

長男を見ると、ちらちらと降る雪の中、ぽかんと口を開けて木の上を見ていました。「この木は何歳なの?」と聞かれましたが即答できず。インターネットで調べてみました。そこにはしっかりとしたサイトがあり、樹齢は800年以上ということ、また、国の天然記念物であることもわかりました。一般的に杉の樹齢は長くても500年と言われているため、800年とは驚きです。ざっくり西暦1,200年頃におぎゃーと生まれたとすれば、中世は鎌倉時代。この木は、武士によって統治がなされていた頃に生まれ、今ここに存在している。う~ん何とも凄い、その生命の時間軸の長さに圧倒されました。この木はこれまで、ここでどんな人の生活を、変化を見てきたのでしょうか。

さて、そんな身近な木のご長寿っぷりに感激したことをきっかけに、木の寿命、樹齢はどれくらいの長さになるのかが気になり調べてみました。日本の最高齢の木と言えば、知る人ぞ知る「縄文杉」です。鹿児島屋久島の標高500メートル以上の高地に自生する屋久杉です。縄文杉というのは個体に付けられた名前で、植物の種の名ではありません。縄文杉の由来は、当時推定された樹齢が4,000年以上で縄文時代から生きていることから来たという説と、うねる幹の形が縄文土器に似ているから、という説などがあります。高さは約25メートル、幹の太さは約16メートルあり、年輪によると、少なくとも推定樹齢は2,000年になり、最大で7,000年になる可能性もあるという意見があります。屋久杉は杉の中でも特に樹齢が長いことが特徴の一つです。栄養の少ない花崗岩の島に生える屋久杉は成長が遅く、ゆっくりと大きくなるため年輪の間隔が詰っています。また降雨が多く湿度が高いため、樹脂分を多くして腐りにくくしています。こうしたことが理由で、樹齢が他よりも長いといわれています。
ちなみに、日本各地には様々なご長寿の木があります。各自治体の解説によると、縄文杉のように樹齢が7,000年を超えるものもあったりします。ただ、こうした樹齢は地域の歴史と共に、巨樹のロマンや伝説として語られていることも多いようです。

次に世界を見てみましょう。実際に年輪が測定されたものとしては、アメリカのカリフォルニア州東部のインヨー国有林に存在するブリッスルコーンパイン(bristlecone-pine:和名イガゴヨウマツ)が有名です。969歳まで生きたという旧約聖書の登場人物、「メトシェラ」にちなんでそう呼ばれています。この木は、1957年の測定時に4,723年の年輪を確認されています(Rocky Mountain Tree-Ring Researchの古木データベースOLDLISTによる)。この木があるところは、どんなに環境に恵まれているのだろうか、と思うのですが、このブリッスルコーンパインの生育しているところは標高3,000mです。そこは低温な上に乾燥していて、強風が吹き、更に土壌も痩せている場所で、生育環境としては極めて過酷であることに驚きます。このような生育環境のため、木の高さは極めて低くなり、形もねじれて奇形となります。写真で見るその姿(鳥取大学名誉教授小笠原隆三さんが撮影したもの)は、激しくねじれながら天に手を伸ばす別の生き物のように思われ、巨木とは異なる生命の迫力を感じます。なお、この木の所在地は、保護の観点から明かされていません。そのため、私も残念ながらこの「メトシェラ」はまだ実際に見ることができていません。でもいつか、この4,800歳近くのご長寿と手をつないでみたいものです。

ところで、なぜこのような悪環境下でもこの木は長生きできるのでしょうか。実はこのブリッスルコーンパインは、養分や水分が十分あるところでは幹がまっすぐに伸び、樹高も高くなります。でも、寿命は長くとも1,500年程度になるそうです。生育環境が良い方が寿命が短くなるとは不思議なものです。
この長生きの理由にはいくつかの説がありますが、エネルギーの使い方が理由ではないか、という考え方があります。ブリッスルコーンパインの成長はとても遅く、年輪の幅が1cm増えるためには50年以上を要すると言われています。厳しい環境の中では、通常5年くらいしかもたない葉を40年以上も付け、僅かな水分や養分で生きられるように、無駄なエネルギーを使わないような、最低限の成長に自らを抑えているから、というものです。そのため、幹や根などの機能も必要最低限度コンパクトに、省エネになっているわけです。縄文杉も同様ですが、この環境に適応したゆっくりとした成長が結果として長生きにつながっているものと考えられています。

さらにもう一つ、自らの遺伝子を残すために繁殖する、という生物の本能を考えると、動物とは違って、植物のような条件によっては自らが長く生き続けることのできる生き物の場合、無駄にエネルギーを使って繁殖するよりも、自らができる限り長生きすることで、自らの遺伝子を残す、という選択肢も選べることになるのではないでしょうか。その点から考えて、悪条件下のブリッスルコーンパインのご長寿には何か戦略があるように思ってしまいます。ですから、万が一、現在の悪環境が改善された時には一気に花が咲き、繁殖活動が始まるのかもしれません。
こうした悪い環境でもしたたかに存在し続ける木の姿と、その圧倒的な時間軸の長さの前には、謙虚な気持ちにならざるを得ません。それと共に、自分の不平不満もどうってことない、ちっぽけなものだよ、なんて思ったりして、日々を生きる励みになったりします。

話は変わり、最近、創業から140年を超える「ご長寿企業」とお仕事をご一緒することになりました。会社の事業承継にも関わる重要な節目となるお仕事です。これだけ長きに渡りご親族で経営を続けてこられた会社のお仕事ですから、緊張感と共に、内心ワクワクもしていました。現社長と次期社長のお話をそれぞれ伺いましたが、これまでの事業内容をお聞きすればするほど、その真摯な姿勢と新たな事業への意欲に感銘を受けたわけです。そこで次はご長寿というテーマで、会社について調べてみました。

先ほどの100年を超えて長年経営を続けて来られた老舗企業については、株式会社東京商工リサーチ社による日本の老舗企業調査というデータがあります。それによると、2017年に創業100年以上となる企業は、全国に33,069社あるそうです。2012年の前回調査に比べて5,628社増えていて、業歴1,000年以上の会社も7社あります。地区別では、東京都などの「関東」が1万23社(構成比30.3%)と最多で、全体の約3分の1が集中していて、次いで「近畿」5,970社(同18.0%)、「中部」5,110社(同15.4%)と都市圏が多くなっています。老舗率(企業数に占める老舗企業の割合)のトップは北陸の2.1%です。古くから加賀藩前田家の城下町として発展した石川県、漁業や眼鏡枠製造の福井県、薬売りの富山県がそれぞれ全国平均を超えていて、地場産業が活発なことがその要因のようです。次いで、「東北」の1.8%、「四国」の1.6%となります。業種別では、「清酒製造業」(850社)、「貸事務所業」(694社)、「旅館,ホテル」・「酒小売業」(各693社)が上位を占めています。

企業規模では、東京証券取引所など国内証券取引所に上場する老舗企業は564社で、全上場企業3,647社の1割(構成比15.4%)。内訳は、東証1部上場が408社(同72.3%)で最も多く、次いで東証2部が95社(同16.8%)、JASDAQ上場が47社の順。従業員別では、「4人以下」が1万1,191社(構成比33.8%)と最多で、次いで「5人以上10人未満」6,735社(同20.3%)、「10人以上20人未満」5,214社(同15.7%)と続きます。「300人以上」は1,121社(同3.3%)にとどまり、「10人未満」が1万7,926社(同54.2%)と半数以上を占め、老舗企業の多くは小規模企業となっているようです。

業歴1,000年以上の会社では、宗教法人を除くと社寺建築の金剛組が578年創業(古墳時代)ともっとも古く、飛鳥時代の四天王寺の建立にも立ち会ったと聞くと、その歴史の長さに気が遠くなります。ちなみに、現在は新会社が旧金剛組から事業を継承していますので、実質的には、華道の池坊華道会の587年創業がもっとも古いとも言えます。その他ベスト10には旅館が5つ入っていて、日本文化の歴史と豊かさを感じさせます。それにしても、最近の数十年でも経営環境が大きく変化していることを考えると、これだけの長い間、経営を継続してこられたことには敬意はもちろん、初詣で天然記念物の大杉を見た時のような、畏怖の気持を抱きます。
なお、世界の老舗企業については、大韓民国が2008年に発表した41カ国の調査があります。それによると、200年以上存続する企業は5,586社でした。このうち56%以上の3,146社が日本にあり、ドイツに837社、オランダに222社、フランスに196社あるそうです。

世界を見渡して見て思うのです。なぜ日本にはこんなにご長寿の会社が多いのでしょうか。それは日本社会が、古来より、絶えず災害に見舞われる厳しい環境に置かれ続けてきたことに理由があるのではないでしょうか。
低温、乾燥、強風に耐え、土壌の痩せている標高3,000mの地で身をねじらせながら天に手を伸ばすメトシェラ。栄養の少ない花崗岩の上に幹をうねらせてそびえ立つ縄文杉。共に過酷な環境に適応し、独自の生きる術を身に付けることで堂々たる長寿を誇っています。
同じように日本社会は、地震、台風、洪水、干ばつに見舞われながら、そういう天災の中で生き抜くために独自の共同体のあり方と生存への知恵をつくり上げてきました。それが日本における企業の原点にはあり、こんなにも多くの会社が営々と命を保ち続けているのだと思います。
経済性と社会性を兼ね備えた会社という存在が、株主の、場合によっては経営者の短期利益追求という経済性に大きく偏りがちな今日の経営だからこそ、日本という国名が701年の大宝律令によって公式に定められて以来、こうして今もその日本という名のままに、1300年以上も存続している継続性と、ご長寿企業を支えてきた日本社会の持つ高い適応能力を範として、企業継続の経営を再認識する必要性は高いのではないかと思います。

さて、本年の5月には「平成」に代わる新元号「令和」がスタートします。これを区切りとして、新たな未来を描こうとする会社や人も多いことでしょう。人工知能や自動運転等の様々な新しいテクノロジーによって描く未来と共に、人とは違う時間軸で生きている木々や、これまで脈々とつながれてきた日本文化や社会風土にも想いをめぐらせ、長く続いてきたこと、変わらないことへの感謝や尊敬を心にもって描く未来も構想していけるのであれば、きっと日本はこれからも長く豊かであり続けるのでないかと思うのです。

改めて思う-塀と壁と橋

現研主任研究員 萩野齊之

塀と壁。広辞苑によれば、塀は家屋敷などの境界とする囲い。壁は障害物として他を排除するもの、江戸時代には野暮・無粋を言った言葉・・とある。
塀の中と外というと、その塀は刑務所の塀をさし、塀の上を歩いている状態とは、バランスを失うと中(刑務所)へ落ちるような法律すれすれの行いをしていることを指す。

ここで取り上げるのは、塀ではなく、壁である。壁が付く言葉には、“言葉の壁”“人種の壁”“心の壁”“宗教の壁”など多くの用法があるが、ここでは物理的な壁・城壁のような外からの侵入を防ぐための構造物のことである。
これらの構造物は、外からの侵入を防ぐためにはある程度の効果があるが、内側から外へ出ていくにはまことに厄介な代物である。
壁は必ず突破されるし、平和が訪れると厄介な邪魔者になる。ローマ帝国時代の壁は、一部が文化財として残されてはいるが、ローマ市中心部では交通の邪魔だとして殆んどが撤去されている。万里の長城も今では観光的な価値しかない。トロイの壁も戦利品の木馬を入れるのに邪魔となった城門を城兵が自ら壊し、木馬の中に潜んでいた伏兵によって陥落させられた。最近ではベルリンの壁が撤去された。要するに平和になれば邪魔ものなのだ。

ところが、新しく壁を作っている国がある。イスラエルによるパレスチナの壁・東ヨーロッパの難民排除の壁などに加えて、大真面目に米墨国境の壁を作ろうとしている。聞くところによれば、カナダと米国の間に新しく壁を作ろうという話が出ている。メキシコから米国を縦断してカナダに蜜入国する人々を防ぐためらしいが、いったん入国してしまったら強制送還はしないというカナダの方針は変わらないようだ。

どんなに頑丈な壁を作っても、必ず穴があけられる。国境を越えようとする人々のパワーを力で抑えるのは不可能だ。蟻の一穴から堤防の決壊が起こる。壁は作った瞬間から取り壊される運命にある。
それが分かっているはずなのに、凝りもせずに壁を作る。日本人には壁という概念が無かったようだ。関所や堀は作ったが、壁と呼ばれる構造物は城の石垣程度だ。

壁を作らなければ侵入を防げないのは、政治の失敗だと思わないのだろうか。政治というソフトの限界を物理的な壁というハードで防ごうと思ってもしょせん無理なのだ。
臆病者ほど頑丈な壁を好む。壁に囲まれていれば一時的には安泰だが、兵糧攻めにあったらせいぜい2年しかもたない。臆病が高じて「攻撃は最大の防御」として核の先制攻撃を目指して外国を脅そうと思っても、手の内は読まれているのですよ。
今の各国の指導者は、全員が第2次世界大戦を映像でしか知らない世代だ。戦死者が出ても、それを統計上の数としてしか捉えられない指導者にとって、戦死者の家族の悲しみは理解できないだろう。壁の構築のほかに打つ手はあるはずだ。
ローマ法王がトランプ大統領に言った言葉「壁より橋を!」は名言だ。壁がすぐ戦争に繫がるわけではないが、殺し合いが始まる前に壁を撤去する方が勇気がいるようですね。これからの英雄は壁を撤去し、橋を造る指導者のほうに軍配が上がるでしょう。 

(現研コラム「Information At Random」[産検リポート№361 2018年3月]より)

明治維新から150年、東京五輪まで2年

現研主任講師 泉川獅道

日本の音楽は大怪我を負っている

「日本の音楽は明治以降、大怪我を負ったままです」

2014年6月15日、スッキリとしない梅雨空の下、私は六本木の国際文化会館にいた。東芝国際交流財団設立25周年記念行事「21世紀における日本音楽—未来への提言—」と銘打たれた音楽サミットに参加するためである。日本人を中心として、大学教授、音楽研究者、邦楽演奏家、文化財団職員、メディア関係者など、さまざまな立場の音楽関係者によって埋められた会場に最初に登壇したのは、米国コロンビア大学名誉教授・中世日本研究所所長、バーバラ・ルーシュ氏であった。冒頭の一文は彼女が主催者挨拶として強く言い放った言葉である。

バーバラ・ルーシュ教授は次々に日本音楽の現状について言い放った。

「日本音楽にはリハビリが必要です」
「日本音楽は世界の宝なのです、これは日本だけの問題ではありません」
「未来へ向けて、問題を一つ一つ克服・解決してゆかなければなりません」

おそらく、この時点で彼女の言わんとしていることにスッキリと合点がいく人の方が少ないだろう。いまの私たちにとってはそれが当たり前である。

・日本の音楽とはどんな音楽を指しているのか?
・大怪我とはなにか?
・日本音楽の未来への課題とはなんなのか?

おそらく、これらの問いにハッキリと即答できる日本人はほとんどいないはずだ。

そこで「日本の音楽」を「日本の伝統音楽」と言い換えてみると、おぼろげに彼女の発言の輪郭が浮かび上がってくる。日本の伝統音楽。現代日本人にとって、その印象は「渋い」、「暗い」、「退屈」、「魅力はなんとなくわかるが、興味があるかといわれれば特にない」といったものがマジョリティとなる。時に「和風」という便利で多義的な言葉で片付けられることもある。しかしながら、「私たちに必要のないものか」と問うと、「必要だ」という答えが返ってくるから何とも不可思議な文化である。

日本の近代化・西洋化による文化の混乱

さて、この不可思議さが明治期の日本の近代化・西洋化に起因することは、少し考えれば想像がつく。今から150年ほど前、日本は「黒船来航」によって西洋列強に開国を迫られ、明治維新によって幕藩体制が崩壊し、明治新政府による新体制が敷かれた。その中で、日本の文化・芸術界も、西洋に追いつけ追い越せと急激な近代化の波にさらされた。「鹿鳴館時代」に代表されるような、西洋列強と肩を並べるための様々な文化の西洋化政策は誰もが知るところである。ただ、今の私たちはそれらがすぐに受け入れられ、西洋化はトントン拍子に進んでいったように思っている節があるが、文化の西洋化は決して順風満帆に進んでいったわけではない。当然ながら各界では奨励賞賛と同時に、猛烈な抵抗、摩擦が起き、関係者の腐心は相当なものであったに違いない。

アーネスト・フェノロサと岡倉天心、日本画の確立

美術・絵画の世界ではお雇い外国人のアーネスト・フェノロサ(1853-1908)、岡倉天心(1863-1913)らの働きがよく知られており、彼らの献身的な日本美術の保護・啓蒙活動は、日本・東洋の美術史研究、伝統美術の復興、文化財保護運動、美術教育の確立といった重要な成果に結びついた。明治新政府が引き起こした廃仏毀釈運動の影響で、寺社仏閣を中心に重要美術品が危機にさらされ、奈良興福寺の国宝五重塔が二十五円で売り出され、薪にされかけていた時代である。
岡倉天心がその創設に大きく貢献した東京美術学校(明治20年創立、現在の東京藝術大学美術学部)、日本美術院からは横山大観や下村観山、菱田春草といった「日本画家」が世界に羽ばたいた。最後の狩野派となった狩野芳崖や橋本雅邦、フェノロサ、岡倉天心らの出会いは、西洋化の嵐が吹き荒れる中、「洋画」の対概念として、伝統的絵画の継承と近代的絵画への脱皮を兼ね備えた「日本画」という新しい世界を生み出したのである。
新渡戸稲造の「武士道」と同じく、英語で出版された天心の「茶の本」(明治39年出版)では、その名の通り、日本の茶道文化を軸に、欧米の物質主義的文化に対して、比較文化論的に東洋の精神文化や芸術の価値・魅力を力説している。茶の本「The Book of Tea」は日本文化の啓蒙書・名著としての地位を確立し、今でも世界で読み継がれているのである。

伊澤修二と音楽教育、日本音楽のドレミ化

同じように、音楽の世界でも西洋化政策は大きな混乱を生み、複雑な経緯を辿ることとなった。その中心的人物は東京音楽学校(現在の東京藝術大学音楽学部)の創設に尽力し、日本における音楽教育の功労者としての評価が高い伊澤修二(1851-1917)である。伊澤も天心と同じく明治期のいわばエリート官僚で、優れた教育研究者であり、本場アメリカに渡り、ピアノの入門書「バイエル」を日本に持ち込んだことで知られるルーサー・メーソンに師事して西洋の音楽教育を学んだ。
現代の日本における伊澤の評価は大きく二分する。表面は「日本における西洋音楽導入の功労者」であり、その裏面は「日本の伝統音楽衰退の責任者」である。「私たちが学校で受けた音楽の授業」を思い出してみてほしい。音楽室の壁にはバッハやベートーヴェン、モーツァルトといった西洋クラシック音楽の巨人たちの肖像画が並び、そこに日本の伝統音楽の専門家はいないはずだ。日本は世界的に見ても「西洋クラシック音楽が最も発展している国」の一つであるといって過言ではない。
ただし、その伊澤も西洋音楽をただ日本に輸入して模倣させようとしたわけではない。明治12年に日本の音楽の方向性を探るべく創設された「音楽取調掛(おんがくとりしらべがかり)」の三大事業には、
一、東西二洋の音楽を折衷して新曲を作る事
二、将来国楽を興すべき人物を養成する事
三、諸学校に音楽を実施する事
が掲げられており、従来の日本音楽に西洋音楽のよいところを取り入れた和洋融合の「国楽」が、それぞれの現場で模索されたことがわかる。また当時の庶民の音楽の代表格である三味線音楽の特徴で、恥ずべき文化として問題視された「教育上よろしくない歌詞」を書き換える、いわゆる「俗楽改良」も、日本の伝統音楽を保護するための重要な仕事であった。
しかし、それらの努力があったにせよ、明治23年に初の国立音楽教育機関として創立された東京音楽学校においては、西洋音楽の輸入・教育が主題となり、軍隊の音楽(軍楽・吹奏楽)、富裕層・知識階級のたしなみ(クラシック音楽)、子どもたちの唱歌(学校教育)などの場面から、次第に西洋音楽は国民に浸透していった。150年かけて日本音楽のドレミ化と伝統音楽の衰退は進んでいったのである。

価値観のモノサシは動的なもの

さて、これらの明治初期の文化動向を今一度ハッキリとさせるならば、日本は(日本政府は)国難を乗り越え西洋列強に対峙するために「日本の近代化」が必要だと考え、その過程で「西洋文化を輸入・模倣し、肩を並べ、日本が文明国であることを認めさせる」方法を選び、そこに「文化の西洋化が戦略として利用された」と考えるべきであろう。
音楽の世界では、その過程で音楽の「ドレミ化」が政府主導の下に進められた。その結果、いま私たち日本人は豊かで多様なドレミの音楽を楽しんでいる。同時にドレミ以前の日本の音楽の価値は「よくわからなく」なっている。
言わば「150年前の日本人がもっていた文化のモノサシは、150年かけて異なった価値観のモノサシに入れ替わっていった」のである。
文化というものはいつの時代も動的なものであり、本質的に「保守と革新」を内包するものであるが、数代前の先祖が当たり前に楽しんでいた音楽を、今の自分が心から楽しめないことは、私には残念でならない。

明治維新150年、東京五輪まで2年

伝統楽器・尺八の演奏家として、また幼少より西洋音楽を学んできた作曲家として、また大学に籍を置く一音楽研究者として、そして一児の父である日本人として、6月の「東京サミット」に居合わせた私は、複雑な気持ちでルーシュ氏の話を聞いていた。
「日本の音楽は大怪我を負ったまま」という言葉に胸の痛みを感じ、幕末の黒船来航の光景を思い浮かべていたのは私だけだったのだろうか。また同時に、外国人(特にアメリカ人)としての自分を意識しながら、日本の首都・東京で、大勢の日本人音楽専門家を前に、毅然と日本人の伝統軽視の姿勢を批判し、日本伝統音楽の救護を訴えかける、ルーシュ氏の覚悟と度量、強い気持ちに、深い敬意と未来への希望を抱かずにはいられなかった。

私は「日本画の世界的成功と日本伝統音楽の衰退」を安直に比較して、誰かを批判したい訳ではない。かといって、一和楽器奏者として日々感じる無念さ、やるせなさを隠すつもりもない。ついては、最後に私なりの今後の日本音楽の展望を述べたい。

私は音楽取調掛がやり残した「日本における西洋音楽と日本音楽の豊かな両立」は、まだ間に合うと思っている。
残念ながら、現時点では日本人の総意としての「日本文化」の中にルーシュ氏の語る日本音楽は組み込まれていないだろう。伝統楽器である三味線、尺八、和太鼓やその演奏が、多くの日本人を魅了し、心を揺さぶり始めていることは間違いないが、私たちは総じてそれを「ドレミ」の解釈で受け止めている段階である。
平成10年の文科省指導要領の改訂によって、日本の義務教育において「初めて」和楽器が正式に盛り込まれた。明治12年に伊澤修二が構想した音楽取調掛から約120年の歳月が流れ、その間に、日本の伝統音楽がすっかり教育の視野の外に置かれてしまったことが、ようやく問題として認められたのだ。
現在、教育現場では「西洋音楽畑で育った音楽教師」が、自分たちが学んでこなかった和楽器の魅力を子どもたちに伝えようと日々奮闘している。まだ始まったばかりである。教育現場からの日本音楽の再興にはまだ時間がかかるだろう。しかしながら、先生と子どもたちの間に再び育ち始めた「文化の根っこ」は、必ずや豊かな未来の音楽へと結びつくに違いない。

一方で、地方に残された日本音楽の再興には新しい可能性が生まれている。学校教育から置き去りにされてきた日本音楽であっても、今なお風土の中で土着し、豊かに生き延びているものがたくさんある。盆踊り、獅子舞、薪能、御神楽、浄瑠璃、エイサー、そして虚無僧尺八、伝統の響きを今に伝える地域芸能は枚挙に暇がない。
今、日本中のスマホカメラが地方に分け入り、そういった日本音楽の姿を捉えて拡散させていく現象が広がっている。特に昨今、日本を訪れる外国人が増え続けているが、彼らはそれを新しい文化との出会いととらえて、ありのままに発信し、それが世界中に拡散していくのである。
岡倉天心に日本文化の独自性を覚醒させたフェノロサの役割を、無名の人たちの無数のスマホカメラが果たす可能性がある。少なくとも、今の私たちの耳には聴こえにくくなった「日本音楽のありのままの素晴らしさ」を掘り起こすきっかけをつくってくれるだろう。そのきっかけを私たちがうまく生かすことができれば、草の根からの日本音楽の再興の流れが生まれ得る。
私はそう期待している。
学校教育から忘れられても生き続けた日本音楽のもつ本来的な強さと価値を、私は信じている。

明治維新から150年。
平成終幕へのカウントダウンが始まった。
そして、東京オリンピックまであと2年。
私たちが世界に発信できる文化は私たちが意識している以上に豊かである。

◆泉川獅道(いずかわしどう)
㈱現代経営技術研究所主任講師。フィールドワーク、モノづくり、ソフトコンテンツづくりを組み入れた独自の研修プログラム開発に定評。尺八奏者、作曲家、サウンドプロデューサーとしても活躍。大阪芸術大学講師。

AI<情緒

現研主任研究員 荒井幸之助

この時期、ご近所のお庭を見に行くのが毎年恒例の楽しみになっています。お目当てはそこに咲く何十種類もの色とりどりのバラです。花の香りがあたり一面に漂い、その場にいるだけでも、何とも幸せな気持ちに包まれます。

バラと人の関わりは非常に古く、メソポタミア文明の「ギルガメシュ叙事詩」にバラという文字があるそうです。この物語は粘土板に彫りつけられており、主に紀元前2000年~1200年頃のものだと言われています。その後3000年を経て、アジア系との交配により一年に季節を問わず何度も花を付ける四季咲き系が生まれ、大輪咲き、多色化と進みました。今では登録されているものだけでも4万種類を超える品種が生まれています。

バラは海外の花でもありますが、日本にも自生していて、万葉集にも詠われています。その代表が、のいばら(野茨)です。のばらとも言いますが、このばらは小さく可憐な白い花を付けます。お庭だけでなく、山野や道端でも見ることがある、日本人には実になじみ深い花ではないでしょうか。

ちなみに、りんごや梨、苺はバラ科の植物です。一見つながりがあるようには思えませんが、その花を見ると、いずれもとてもよく似た白い花をつけるので納得します。また、のいばらは原種のため病気や環境の変化に強く、比較的弱い園芸種のばらを増やす際の接ぎ木の土台として使われます。根っこを含む下の部分はのいばらで、その上に園芸種のバラを接ぐわけです。

のいばらは秋には赤い小さな実をたくさん付けます。ローズヒップ(ばらの実)ティーとして飲用されるため、姿は知らなくてもご存知の方がいらっしゃるかもしれません。酸味のあるさわやかな風味が特徴で美容効果もあるそうです。秋の野原を春とは違った色で彩ります。四季の変化が豊かな日本には、こうした植物を楽しめる場所がたくさんあります。

東京で仕事をしていると、忙しさにかまけて、身近にある自然を気にかけないことが多いと思います。空き時間があれば、まずはスマホに目が行きますし、自分の周りをじっくり見ること自体が減っているのかもしれません。でも少し気にしてみると、身の回りにはたくさんの緑や花々が私たちを包んでいます。

先日、仕事先で待ち合わせをした駅で、ふいに、のいばらの花に心が奪われました。欅の木の葉が揺れる、その木漏れ日の中に、風にそよぐ白い花。ぼーっと眺めながら、岡潔さんの随筆集「風蘭(ふうらん)」のことを思い出しました。

後で読み返してみると、そこにはこう書かれていました。「たとえば、すみれの花を見るとき、あれはすみれの花だと見るのは理性的、知的な見方です。むらさき色だと見るのは、理性の世界での感覚的な見方です。そして、それはじっさいにあるとみるのは実在感として見る見方です。これらに対して、すみれの花はいいなあと見るのが情緒です。これが情緒と見る見方です。情緒と見たばあいすみれの花はいいなあと思います。芭蕉もほめています。漱石もほめています。」

彼は教育者であり、世界的な数学者です。数学とは情緒の表現である、と語りました。そして日本人にとっての情緒の大切さを様々な形で説き、日本人のすばらしさは情緒にあると言っています。

すみれの花をいいなあ、と見ることが大切であり、それが日本人なのだそうです。「風蘭」の文章を読んだ時、私は日本人の最も大切な根っこのようなものが情緒であり、理性や知性に対しての上位概念である、そう解釈しました。しかし、情緒が何なのか、私にはいまだに分かりません。何となく、日本人って、日本って良いなあ~と思う瞬間かな、くらいに考えています。日本人が持つ、野中郁次郎さんのいう暗黙知のようなものなのかもしれません。

ところで、今年の5月23日、米グーグルが開発した人工知能(AI)「アルファ碁」と、世界最強といわれる中国の柯潔(カ・ケツ)九段が囲碁で対決し、アルファ碁が完勝して話題になりました。柯九段は対戦後にこうコメントしています。「完敗だった。アルファ碁の弱みを見つけられなかった。人間との差を一個人で補うことはできないようになる。」

いわゆる「シンギュラリティ(技術的特異点)」が2045年には訪れると言われています。シンギュラリティとは、米国の数学者でありSF作家でもあるヴァーナー・ヴィンジ氏が提唱している思想で、AIのように高度な機械が、今後加速度的に進化することにより、機械がいずれ人間を上回り、知能ばかりか、意識までも持つようになるという予想です。

アルファ碁との対戦結果を見ると、その日が本当に訪れるのではないかと思わざるを得ません。そのAIの進化を支えるのが2006年に考案された「ディープ・ラーニング(Deep Learning)」という手法です。これは人間の大脳活動のメカニズムをコンピュータ上で再現し、より低レベルの情報から高レベルの情報を段階的に導き出す機械学習の新方式として広く知られるようになりました。

既にAIによって人々の将来の職業が大きく変化することが予想されていますが、その時、経営は、人の働き方は、どういう形になっているのでしょうか。また、それに対して、これからの企業はどう対応していけばよいのでしょうか。

ここで私は先ほどの岡さんの言葉を思い出します。AIというデジタルの世界と情緒、日本人にとって情緒が大切であるということ。バラに幸せを感じ、すみれの花をいいなあと見る。それが我々にとって、経営を考える上でもシンギュラリティ後の世界を生き抜く、AIと共存するためのヒントになるのではないでしょうか。

1つの改善でもあれば、物事は劇的に変わるのに……

現研上級主任研究員 大島和義

ベルギーのブリュッセルからブルージュという街まで鉄道で行こうとしていた時のことです。切符を買ってホームに上って列車がくるのを待っていました。
閑散としたホームに50代半ばかという女性がいて、その隣にはたぶんその方の娘さん、ベビーカーには2歳ぐらいの女の子がのっています。

私の方から話しかけてみました。しかし、私の言葉は通じませんでした。娘さんも残念ながら通じません。でも、お二人ともにこやかに接してくれています。
それで、赤ちゃんとその女性をむすびつけるようなしぐさで「グランマ?」と言ってみました。そうしたら、「ハイ」というように、とても嬉しそうなお顔をしてうなずいてくれました。

目の前に路線図の掲示がありましたので、それを指でさして「ブルージュまで行くつもりだ」ということを伝えると、彼女は、「自分たちは、その1つ先の終点まで」というように指先で教えてくれます。本当に、こんな些細なやりとりが私にとっては海外でのだいご味になっています。

そんなやりとりをしていると、ホームの電光掲示板に「7分の遅れ」という知らせが映し出されます。すると、女性は、西洋の人達がよくやるように手を広げて「しょうがないわね」という仕草をします。
少しすると、「12分の遅れ」という表示が出ます。さらに、しばらくすると「20分の遅れ」という表示です。しかし、20分しても列車は来ません。

気がつくと、わたしたちの周りには大量の人が集まってきています。やがて、ホームからはみ出しそうになってきました。これは大変だ。これではとても乗れないのではないかと心配になってきました。もう、ホームは人ではちきれんばかりです。

私は、思い切って、「今日はやめて、明日の朝にしよう」と決めました。それで、ご婦人と娘さんに、「私は行くのをやめますので……」ということを目としぐさで伝えたのです。

すると、そのご婦人は、なんと、私の腕をグイとつかんで「大丈夫ですから、一緒にのりましょう」と真顔で伝えてくるのです。娘さんもそんな表情です。それから彼女は私の腕をつかんだまま、ホームの前方と後方の両方が見通せるところにまで連れていって、「良く、見て!」というように指さすのです。見ると、そこはガラガラ。

人々が集まっているのは、ホームの真ん中付近だけなのです。いったい、どういうことなのか、一瞬、わかりませんでした。しかし、改めて周りをよく見てみると・・、わかりました。ホームに停止位置の表示が全くないのです。日本なら足元に「〇号車」という印がどこのホームにもあります。

列車が来ても、どこに止まるかわからないのです。下手をすれば、ホームの両端の方に行って待っていたら、乗れなくなってしまいます。だから、とにかく真ん中なら間違いない、と。それで、私たちのいたところがちょうど真ん中辺りだったので、そこにあふれるようにみんなが集まってきていたのです。
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ようやく列車が入ってきました。どのあたりに扉が来るか、みんな真剣に見ています。すると、今にも停止するかどうかというタイミングで私の隣のご婦人がダッと走り出して、一番先に乗り込んだのです。人をかき分けて、とにかく真っ先に。もう、たまげました。

他の人たちも「我先に」という状況の中、やがて、娘さんと赤ちゃんと私が乗り込んでいくと、もう、しっかりと席は確保してくれてあります。
いや、すごい。私の見た「その光景」もすごいけれども、「ご婦人のバイタリティー」も、すごい!

さて、次にどういうことが起こったか・・・。

私たちが乗り込んだ後、延々と、人が乗り込んでくるのです。ぞろぞろ、ぞろぞろ、真ん中の通路を列車の両端に向かって歩いていきます。おそらく、自分の座る席が見つかるところまで、とにかく、歩いていくのでしょう。逆方向に行こうとする人はいませんから混乱はありません。

そうやって、ようやく、列車は動き出したのです。

◆まとめ

列車が遅れる原因が、また、人々がマナーを捨てて行動する原因が、いったい、どこにあるか・・。

みんなで積み上げてきた改善という努力と、そうやって作り上げてきたシステムというものの成果とで、日本の社会全体がとてつもない価値をもっているということを目の前で見せられた光景でした。

一方、そんな日本の社会も、そして、私たちの企業にあっても、このところ、そこここに、大きなほころびが目立つようになってきているのも事実です。

出現する現代の新しい状況への対応を急ぐ必要があります。1つの改善でも、その努力を積み上げていかなくてはならないと思う次第です。
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イノベーションの風土づくりへ

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現研所長 大槻裕志

◆アイディアの玉石混交を歓迎する

単発的なイノベーションではなく、イノベーションを生み出し続ける風土をどうつくるか?現在の多くの社が願い、取り組んでいるテーマである。

私はイノベーションを生み出し続ける風土をつくるためには「アイディアの玉石混交を歓迎する」職場風土の大切さを強調したい。そしてこのような説明を添えたいと思う。

  • たくさんの石があって玉が見つかる
  • 石をヒントに玉が生まれる
  • 石を組み合わせて玉が生まれる
  • 議論が進み、石だと思っていたものが玉だったと気づく

アイディアを発想した時点で、その良否を、言い換えれば、石か玉かを評価しようとする職場の空気は、自由にアイディアを発想しようとする気持ちに蓋をすることになる。
石は、玉を生む礎になったり、玉に化けたりすると大らかに考えて、評価を気にせず、どんどんアイディアと議論が生まれる風土こそがイノベーションを生む。それが多くの会社を見てきた私の率直な実感である。

◆第一歩の敷居を低くせよ

イノベーションの呼称に込められた共通の意味合いは「根本から変える」「新しいものを生み出す」「現状を打破する」などであろう。
はたして、全員が担当している個々の業務で「根本的に変える」「新しいものを生み出す」「現状を打破する」ことなど可能であろうか?そういわれた時に、社員たちは、どう行動すればよいのか、イメージが湧くであろうか?
イノベーションを標榜し、社員に「変われ」と呼びかける時、会社がかわろうとするビジョンの姿を、そのまま個々の社員の担当業務にあてはめて「大きく変えよ」「新しいものを生み出せ」「現状を打破せよ」とやると、社員から見ると第一歩を踏み出そうにも敷居が高すぎる。

組 織や指導者が、社員が変革をイメージできる枠組みをつくり上げる。その枠組みをイメージしながら一人ひとりの社員が自分の担当業務で、一生懸命に改善、工 夫に取り組む。そしてみんながどんどん改善と工夫を積み上げいくことを勇気づける。全員がどんどん改善を積み上げる中から、時に、画期的なアイディアや革 新的なアプローチが現れ、それが随所、随所にちりばめられるようになる。

◆「改善」が「革新」を活かす

ノベーションとして語られるものも、要素分解して、もとをたどれば社員一人ひとりの小さな知恵や改善である。その小さな知恵や改善がスピード感もってどんどん積み上がっていくと、弾みがうまれ、その集積度が閾値を超えるとイノベーションが起こる。
下図の「イノベーションの枠組み」を見てほしい。これは論理図であるよりはイメージ図である。ここではあえて、
改善:小さな変化を起こす工夫・アイディアとその取り組み
革新:大きな変化を起こす発想転換・画期的なアイディアとその取組み
と定義する。

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イメージ1でも、イメージ2でも革新の数は全部で4つである。
だが直観的にあなたはどう感じるだろうか?イメージ1の方は、イノベーションが本当に起こりそうだが、イメージ2には大きな期待を抱けないような気がしないだろうか。

直観だけでなく、現実の組織観察の結果としても、イメージ1の優位性が遥かに高い。
いろんな「改善」アイディアが湧きあがり、一人ひとりが小さくても自ら変える活動に参加している風土の中でこそ、「革新」アイディアは周りからすぐに認められて活かさる。複数の改善が相互に化学反応を起こして革新へと大化けすることだってある。

革新しか認めない空気の中では、革新は孤立し、活かされないのである。
指導者は社員に方向感をしっかり共有させながら一人ひとりに部下の努力を、たとえ見た目にはささやかな成果であっても、気づき、意図を汲み取り、その努力を認め、さらなる創意工夫を鼓舞して欲しい。
みんなでどんどん改善を積み上げる中で、革新的なアイディアが仲間の誰かから生まれ、それを自分たちの問題として喜び、すぐに活かそうとするダイナミズムの中でこそイノベーションが生まれ続けるのである。

事業戦略を牽引する人材構想の条件

現研所長 大槻裕志

人口減少社会の必然―海外投資からの収益で生きていく国へ

日本は人口減少社会に突入している。世界のエリア別にみると(下図参照)、2010年以降、人口減少が予定されている地域は、ヨーロッパと日本である。ヨーロッパは日本より先に人口減少社会に突入している。2045-2050年を見ると日本の人口減少率はヨーロッパを超え、世界でも際立っている。いずれにせよ、日本、ヨーロッパともに成熟社会を迎えてそれが深まっていく過程にあると言っていい。

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一方で、米国は違う。確かに先進国であり、成熟社会としての顔も持つが、現在3億人強の人口が、2050年には4億人に達していると予測されている。米国は、成熟社会の顔をもつ国家であると同時に移民社会の活力を維持した新興国でもあるのだ。
好むと好まざると日本は海外投資からの収益で生きていかざるを得ない国である。労働人口が減少していく中で、また、社会全体が高齢化していく中、国内で必要な生産をすべて賄い、さらに供給余力を海外に輸出して稼ぐというモデルは長期には成り立ちにくい。

所得収支が経常収支を支える時代

国際収支の推移(下図参照:単位は億円)を見ても、すでにその傾向が強まっていることが分かる。1985年の日本の経常収支の黒字は、圧倒的に貿易・サービス収支に依拠していた。ところが2005年を見ると、所得収支の黒字が貿易・サービス収支の黒字を超えている。2010年には、その差がさらに拡大している。
*注:所得収支は、海外への証券投資と直接投資からの収益である。
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リーマンショックを挟んだ統計の動きを1年刻みで見てみよう。リーマンショック(2008年9月)の起こった2008年、2009年と貿易・サービス収支の黒字は激減している一方、所得収支の減少幅は相対的には軽微であり、経常収支の黒字を支えている。
このトレンドは止めようがなく、日本企業が投資し、現地法人の経営活動を軌道に乗せ、収益を拡大し、所得収支の黒字を増やしいくことは、日本が海外の成長を国内に取り込めているかどうかの指標となっている。

転換が求められる人材の質と教育の発想

以下の3つは、このような時代を生きる日本産業が追求しなければならない自明のトレンドであり、宿命である。
1. 海外投資からの収益を拡大する
2. 海外投資を呼び込むことによって成長を目指す
3. 事業・製品・サービスの付加価値を高めていく
この3つのトレンドに乗っていくためには日本企業は人材の質と教育の発想を大きく転換させていかなければならない。それは今までの延長線上にある内向きの人材育成の方式では達成できないであろう。そう考える根拠として、現在の日本社会、あるいは現在の日本人の行動原理が、以上の3つとの不整合を起こす局面があることを指摘したい。

論理を使い分けるヨーロッパ

日本は高度の黙契社会である。文書に定められていなくても、法律で決められていなくても成立している社会的な約束事が多く、社会の構成員がその約束を守ることによって社会の秩序が機能している。
米国はその逆である。徹底した契約書社会である。そしてすべて明示的な約束事のもとに動こうとする。そして法で明記されて禁止されていないことは基本的にやってよいと考える。その点は自由なのである。
黙契社会と契約書社会。日米をその両極とするのであれば、ヨーロッパには二つの社会の論理を使い分けるしたたかさがある。
黙契社会では、経営慣行が尊重されて積みあがっていく中から経営システムのローカリティが高くなりがちである。日本固有のローカルシステムに価値を感じて、それを海外でも守ろうとする感覚が強いのが日本企業である。
多くの日本人は「雇用を守る」ということが企業の責務だと思っているし、海外においても相対的に見て、欧米の企業よりも人を解雇することを回避する努力をする。終身雇用、長期雇用保証という日本のローカルシステムを、海外においても守るべきものであるという思想がある。
一方、ドイツやオランダにも、ワークシェアリングというローカルシステムがある。90年代にフォルクスワーゲンが、週28.8時間労働を労使で妥結した。当時、私は現研ヨーロッパ駐在だったが、このニュースを聞いて驚いて、ドイツ労働総同盟を訪ねてその経緯を事細かにインタビューしたものである。
そういう欧州企業が、フォルクスワーゲンであれ、オランダのフィリップスであれ、ワークシェアリングのシステムをアジアで雇用維持のために適用したという事例をついぞ聞いたことはない。逆に大胆なリストラについてはしばしば報道される。欧州の大企業は、欧州で使う論理とアジアで使う論理を明らかに使い分けている。アジアでは徹底した明示的な契約書主義をとる。

日本システム、米国システム―どちらがアジアの若者を惹きつけるか

米国の企業はヨーロッパとは違い、米国式をそのまま海外にも展開していく志向が強い。
雇用に関しては日欧ほど雇用責任を価値観としていないのでアジアでの展開も本国と現地との整合をとるのが楽である。
人事評価―報酬決定システムの基本コンセプトを単純化して日米比較してみよう。

日本―個人の成果は集団に帰属しみんなで分かち合う。その報酬は長期の処遇と集団内部からの「尊敬・感謝」という形で還元される。
米国―個人の成果は個人に帰属し、その報酬は金銭という形で還元される。
この違いは、企業の属する社会の違いでもある。では、これからアジアで展開していこうとする場合、どちらがアジアの人々にとって分かりやすく、さらには意欲的な若者を惹きつけるだろうか。
今までの現実を見る限り、明らかに米国である。
以上の論理を踏まえた上で、日本企業は人事システム、人材活用の制度をつくり上げていく必要がある。

事業開発―完全性の追求の論理が阻害要因に

今の日本企業の課題は、事業を発展させる、新規事業とグローバルビジネスを成功させる、・・・つまり事業開発である。
IT型ビジネスモデルが本格化して以降の事業開発のやり方の世界的な主流はバージョンアップ猛進型である。不完全であってもスピードを重視し、一番で乗り込んでいく。多少のトラブルがあっても、不都合なところはやりながら直して、前へ前と猛進していき、競争相手を振り切る。
このようなバージョンアップ猛進型と対極にあるのが、十分に準備をして完全にしてから進めるという「完全性の追求」の論理である。最近、この論理で取り組む事業開発アプローチは成功しなくなってきている。
これはむしろ、コンプライアンスや品質保証の世界で求められる行動様式である。日本企業は、コンプライアンスや品質保証をさらに厳密に遂行すべき段階に入ってきている。ところが、コンプライアンスや品質保証を企業システムの中に植え付けていく過程で、これらが事業開発の論理にも影響を及ぼしている。コンプライアンスや品質保証の原理でガチガチに思考を縛られた企業風土と人材は、バージョンアップ猛進型の事業開発の舞台で勝負できなくなってきている。

脱線する新幹線と炎上するナノ

分かりやすい例で考えてみよう。中国は新幹線が脱線したら原因究明など一切お構いなしに翌日には同じレールに別の新幹線を走らせた。29万円を実現して世界を驚かせたナノはインドのあっちこっちで炎上事故を起こしている。
安全・安心を重視する日本では絶対できないバージョンアップ猛進型の事業展開を、中国もインドも平気でやっている。それを善とするか、悪とするかを論じることは、日本ではない相手方の社会に出て行って勝負する時にはあまり意味がない。強いか、弱いかが問われる。彼らは強い。スピードが重視される勝負の場合、よほど工夫をしないと我々は勝てないということを意識すべきである。

ここまで、雇用の考え方、評価・報酬システム、そして事業開発の方式を、順次検討してきたが、日本の場合は、国内事業推進の論理と海外事業推進の論理とのギャップがどこの国よりも大きいということを肝に銘じなければならない。

高付加価値をめざし「顧客を選ぶ」という選択

今まであまりにも全方位的に顧客志向の強い商品づくりをやってきた。顧客適応しすぎのきらいもあった。象徴的な例がルネサス・エレクトロニクス。すべての自動車メーカーがルネサス・エレクトロニクスに依存し、東日本大震災に被災すると、日本のサプライチェーンが分断されて大騒ぎになった。それほど重要な戦略部品を一手に引き受けながらそれまで大赤字を出し続けていた。
日本では、なかなかステイタス・ブランドが育ちにくい。ウォークマンはつくれてもココ・シャネルのようなブランドはつくれない。顧客優先でどんどんモデルチェンジしていくからである。米国にもその傾向があり、ムスタングがアメリカ車として、ある一時代に輝きを放ち、ステイタスを獲得しても、それを長期に続けていくことはできなかった。クラッシック・カーとしてずっと乗り継がれていくロールスロイスにはなれなかったのである。
なぜだろう。今までヨーロッパの会社と付き合ってきて思うのは、彼らは「顧客を選ぶ」ということである。これが俺たちのやり方だからついてこなかったら買わなくてもいいよと言い切る。それが付加価値化の一つのポイントになっている。分かる人だけ買ってください…。
ずいぶん傲慢だが、この姿勢の果実はステイタス・ブランドとして相対的な高価格が維持できるということに留まらない。実はコスト効率も高いのである。たとえばメルセデスベンツ。ずっと同じ型の金型を使って、何十年と変わらない部品で車を作り続けるので、つくればつくるほど、投資を回収してさらにキャッシュが積みあがっていく。
日本企業はお客様の要望に応じてどんどん仕様変更を受け入れ、どんどん型を変えていくので、絶えず投資コストがかかる。顧客との関係性を重視し、我々が顧客を選ぶのではなく、顧客から選ばれることに腐心する。
この姿勢は局面によっては見直さなければならない。我々が今後グローバル競争の中で高付加価値をあげていく事業モデルをつくるには、時には「顧客を選ぶ」態度も必要になってくる。

以上、事業戦略を牽引する人材構想の条件として、日本企業に固有な論理や行動姿勢が、実はグローバル展開においては多くの齟齬を生むという面を検討した。このような状況を打破するために人材育成も根本から発想を変えなければならない。
これからの10年を、私たち日本企業が生存を賭して若手リーダーを鍛える10年にしていきましょう。

(出典:2011年12月1日 第47回総合研究会「2012 次の「新成長力」基盤の創造へ」より。講師:大槻裕志)