明治維新から150年、東京五輪まで2年

現研主任講師 泉川獅道

日本の音楽は大怪我を負っている

「日本の音楽は明治以降、大怪我を負ったままです」

2014年6月15日、スッキリとしない梅雨空の下、私は六本木の国際文化会館にいた。東芝国際交流財団設立25周年記念行事「21世紀における日本音楽—未来への提言—」と銘打たれた音楽サミットに参加するためである。日本人を中心として、大学教授、音楽研究者、邦楽演奏家、文化財団職員、メディア関係者など、さまざまな立場の音楽関係者によって埋められた会場に最初に登壇したのは、米国コロンビア大学名誉教授・中世日本研究所所長、バーバラ・ルーシュ氏であった。冒頭の一文は彼女が主催者挨拶として強く言い放った言葉である。

バーバラ・ルーシュ教授は次々に日本音楽の現状について言い放った。

「日本音楽にはリハビリが必要です」
「日本音楽は世界の宝なのです、これは日本だけの問題ではありません」
「未来へ向けて、問題を一つ一つ克服・解決してゆかなければなりません」

おそらく、この時点で彼女の言わんとしていることにスッキリと合点がいく人の方が少ないだろう。いまの私たちにとってはそれが当たり前である。

・日本の音楽とはどんな音楽を指しているのか?
・大怪我とはなにか?
・日本音楽の未来への課題とはなんなのか?

おそらく、これらの問いにハッキリと即答できる日本人はほとんどいないはずだ。

そこで「日本の音楽」を「日本の伝統音楽」と言い換えてみると、おぼろげに彼女の発言の輪郭が浮かび上がってくる。日本の伝統音楽。現代日本人にとって、その印象は「渋い」、「暗い」、「退屈」、「魅力はなんとなくわかるが、興味があるかといわれれば特にない」といったものがマジョリティとなる。時に「和風」という便利で多義的な言葉で片付けられることもある。しかしながら、「私たちに必要のないものか」と問うと、「必要だ」という答えが返ってくるから何とも不可思議な文化である。

日本の近代化・西洋化による文化の混乱

さて、この不可思議さが明治期の日本の近代化・西洋化に起因することは、少し考えれば想像がつく。今から150年ほど前、日本は「黒船来航」によって西洋列強に開国を迫られ、明治維新によって幕藩体制が崩壊し、明治新政府による新体制が敷かれた。その中で、日本の文化・芸術界も、西洋に追いつけ追い越せと急激な近代化の波にさらされた。「鹿鳴館時代」に代表されるような、西洋列強と肩を並べるための様々な文化の西洋化政策は誰もが知るところである。ただ、今の私たちはそれらがすぐに受け入れられ、西洋化はトントン拍子に進んでいったように思っている節があるが、文化の西洋化は決して順風満帆に進んでいったわけではない。当然ながら各界では奨励賞賛と同時に、猛烈な抵抗、摩擦が起き、関係者の腐心は相当なものであったに違いない。

アーネスト・フェノロサと岡倉天心、日本画の確立

美術・絵画の世界ではお雇い外国人のアーネスト・フェノロサ(1853-1908)、岡倉天心(1863-1913)らの働きがよく知られており、彼らの献身的な日本美術の保護・啓蒙活動は、日本・東洋の美術史研究、伝統美術の復興、文化財保護運動、美術教育の確立といった重要な成果に結びついた。明治新政府が引き起こした廃仏毀釈運動の影響で、寺社仏閣を中心に重要美術品が危機にさらされ、奈良興福寺の国宝五重塔が二十五円で売り出され、薪にされかけていた時代である。
岡倉天心がその創設に大きく貢献した東京美術学校(明治20年創立、現在の東京藝術大学美術学部)、日本美術院からは横山大観や下村観山、菱田春草といった「日本画家」が世界に羽ばたいた。最後の狩野派となった狩野芳崖や橋本雅邦、フェノロサ、岡倉天心らの出会いは、西洋化の嵐が吹き荒れる中、「洋画」の対概念として、伝統的絵画の継承と近代的絵画への脱皮を兼ね備えた「日本画」という新しい世界を生み出したのである。
新渡戸稲造の「武士道」と同じく、英語で出版された天心の「茶の本」(明治39年出版)では、その名の通り、日本の茶道文化を軸に、欧米の物質主義的文化に対して、比較文化論的に東洋の精神文化や芸術の価値・魅力を力説している。茶の本「The Book of Tea」は日本文化の啓蒙書・名著としての地位を確立し、今でも世界で読み継がれているのである。

伊澤修二と音楽教育、日本音楽のドレミ化

同じように、音楽の世界でも西洋化政策は大きな混乱を生み、複雑な経緯を辿ることとなった。その中心的人物は東京音楽学校(現在の東京藝術大学音楽学部)の創設に尽力し、日本における音楽教育の功労者としての評価が高い伊澤修二(1851-1917)である。伊澤も天心と同じく明治期のいわばエリート官僚で、優れた教育研究者であり、本場アメリカに渡り、ピアノの入門書「バイエル」を日本に持ち込んだことで知られるルーサー・メーソンに師事して西洋の音楽教育を学んだ。
現代の日本における伊澤の評価は大きく二分する。表面は「日本における西洋音楽導入の功労者」であり、その裏面は「日本の伝統音楽衰退の責任者」である。「私たちが学校で受けた音楽の授業」を思い出してみてほしい。音楽室の壁にはバッハやベートーヴェン、モーツァルトといった西洋クラシック音楽の巨人たちの肖像画が並び、そこに日本の伝統音楽の専門家はいないはずだ。日本は世界的に見ても「西洋クラシック音楽が最も発展している国」の一つであるといって過言ではない。
ただし、その伊澤も西洋音楽をただ日本に輸入して模倣させようとしたわけではない。明治12年に日本の音楽の方向性を探るべく創設された「音楽取調掛(おんがくとりしらべがかり)」の三大事業には、
一、東西二洋の音楽を折衷して新曲を作る事
二、将来国楽を興すべき人物を養成する事
三、諸学校に音楽を実施する事
が掲げられており、従来の日本音楽に西洋音楽のよいところを取り入れた和洋融合の「国楽」が、それぞれの現場で模索されたことがわかる。また当時の庶民の音楽の代表格である三味線音楽の特徴で、恥ずべき文化として問題視された「教育上よろしくない歌詞」を書き換える、いわゆる「俗楽改良」も、日本の伝統音楽を保護するための重要な仕事であった。
しかし、それらの努力があったにせよ、明治23年に初の国立音楽教育機関として創立された東京音楽学校においては、西洋音楽の輸入・教育が主題となり、軍隊の音楽(軍楽・吹奏楽)、富裕層・知識階級のたしなみ(クラシック音楽)、子どもたちの唱歌(学校教育)などの場面から、次第に西洋音楽は国民に浸透していった。150年かけて日本音楽のドレミ化と伝統音楽の衰退は進んでいったのである。

価値観のモノサシは動的なもの

さて、これらの明治初期の文化動向を今一度ハッキリとさせるならば、日本は(日本政府は)国難を乗り越え西洋列強に対峙するために「日本の近代化」が必要だと考え、その過程で「西洋文化を輸入・模倣し、肩を並べ、日本が文明国であることを認めさせる」方法を選び、そこに「文化の西洋化が戦略として利用された」と考えるべきであろう。
音楽の世界では、その過程で音楽の「ドレミ化」が政府主導の下に進められた。その結果、いま私たち日本人は豊かで多様なドレミの音楽を楽しんでいる。同時にドレミ以前の日本の音楽の価値は「よくわからなく」なっている。
言わば「150年前の日本人がもっていた文化のモノサシは、150年かけて異なった価値観のモノサシに入れ替わっていった」のである。
文化というものはいつの時代も動的なものであり、本質的に「保守と革新」を内包するものであるが、数代前の先祖が当たり前に楽しんでいた音楽を、今の自分が心から楽しめないことは、私には残念でならない。

明治維新150年、東京五輪まで2年

伝統楽器・尺八の演奏家として、また幼少より西洋音楽を学んできた作曲家として、また大学に籍を置く一音楽研究者として、そして一児の父である日本人として、6月の「東京サミット」に居合わせた私は、複雑な気持ちでルーシュ氏の話を聞いていた。
「日本の音楽は大怪我を負ったまま」という言葉に胸の痛みを感じ、幕末の黒船来航の光景を思い浮かべていたのは私だけだったのだろうか。また同時に、外国人(特にアメリカ人)としての自分を意識しながら、日本の首都・東京で、大勢の日本人音楽専門家を前に、毅然と日本人の伝統軽視の姿勢を批判し、日本伝統音楽の救護を訴えかける、ルーシュ氏の覚悟と度量、強い気持ちに、深い敬意と未来への希望を抱かずにはいられなかった。

私は「日本画の世界的成功と日本伝統音楽の衰退」を安直に比較して、誰かを批判したい訳ではない。かといって、一和楽器奏者として日々感じる無念さ、やるせなさを隠すつもりもない。ついては、最後に私なりの今後の日本音楽の展望を述べたい。

私は音楽取調掛がやり残した「日本における西洋音楽と日本音楽の豊かな両立」は、まだ間に合うと思っている。
残念ながら、現時点では日本人の総意としての「日本文化」の中にルーシュ氏の語る日本音楽は組み込まれていないだろう。伝統楽器である三味線、尺八、和太鼓やその演奏が、多くの日本人を魅了し、心を揺さぶり始めていることは間違いないが、私たちは総じてそれを「ドレミ」の解釈で受け止めている段階である。
平成10年の文科省指導要領の改訂によって、日本の義務教育において「初めて」和楽器が正式に盛り込まれた。明治12年に伊澤修二が構想した音楽取調掛から約120年の歳月が流れ、その間に、日本の伝統音楽がすっかり教育の視野の外に置かれてしまったことが、ようやく問題として認められたのだ。
現在、教育現場では「西洋音楽畑で育った音楽教師」が、自分たちが学んでこなかった和楽器の魅力を子どもたちに伝えようと日々奮闘している。まだ始まったばかりである。教育現場からの日本音楽の再興にはまだ時間がかかるだろう。しかしながら、先生と子どもたちの間に再び育ち始めた「文化の根っこ」は、必ずや豊かな未来の音楽へと結びつくに違いない。

一方で、地方に残された日本音楽の再興には新しい可能性が生まれている。学校教育から置き去りにされてきた日本音楽であっても、今なお風土の中で土着し、豊かに生き延びているものがたくさんある。盆踊り、獅子舞、薪能、御神楽、浄瑠璃、エイサー、そして虚無僧尺八、伝統の響きを今に伝える地域芸能は枚挙に暇がない。
今、日本中のスマホカメラが地方に分け入り、そういった日本音楽の姿を捉えて拡散させていく現象が広がっている。特に昨今、日本を訪れる外国人が増え続けているが、彼らはそれを新しい文化との出会いととらえて、ありのままに発信し、それが世界中に拡散していくのである。
岡倉天心に日本文化の独自性を覚醒させたフェノロサの役割を、無名の人たちの無数のスマホカメラが果たす可能性がある。少なくとも、今の私たちの耳には聴こえにくくなった「日本音楽のありのままの素晴らしさ」を掘り起こすきっかけをつくってくれるだろう。そのきっかけを私たちがうまく生かすことができれば、草の根からの日本音楽の再興の流れが生まれ得る。
私はそう期待している。
学校教育から忘れられても生き続けた日本音楽のもつ本来的な強さと価値を、私は信じている。

明治維新から150年。
平成終幕へのカウントダウンが始まった。
そして、東京オリンピックまであと2年。
私たちが世界に発信できる文化は私たちが意識している以上に豊かである。

◆泉川獅道(いずかわしどう)
㈱現代経営技術研究所主任講師。フィールドワーク、モノづくり、ソフトコンテンツづくりを組み入れた独自の研修プログラム開発に定評。尺八奏者、作曲家、サウンドプロデューサーとしても活躍。大阪芸術大学非常勤講師。