事業戦略を牽引する人材構想の条件

現研所長 大槻裕志

人口減少社会の必然―海外投資からの収益で生きていく国へ

日本は人口減少社会に突入している。世界のエリア別にみると(下図参照)、2010年以降、人口減少が予定されている地域は、ヨーロッパと日本である。ヨーロッパは日本より先に人口減少社会に突入している。2045-2050年を見ると日本の人口減少率はヨーロッパを超え、世界でも際立っている。いずれにせよ、日本、ヨーロッパともに成熟社会を迎えてそれが深まっていく過程にあると言っていい。

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一方で、米国は違う。確かに先進国であり、成熟社会としての顔も持つが、現在3億人強の人口が、2050年には4億人に達していると予測されている。米国は、成熟社会の顔をもつ国家であると同時に移民社会の活力を維持した新興国でもあるのだ。
好むと好まざると日本は海外投資からの収益で生きていかざるを得ない国である。労働人口が減少していく中で、また、社会全体が高齢化していく中、国内で必要な生産をすべて賄い、さらに供給余力を海外に輸出して稼ぐというモデルは長期には成り立ちにくい。

所得収支が経常収支を支える時代

国際収支の推移(下図参照:単位は億円)を見ても、すでにその傾向が強まっていることが分かる。1985年の日本の経常収支の黒字は、圧倒的に貿易・サービス収支に依拠していた。ところが2005年を見ると、所得収支の黒字が貿易・サービス収支の黒字を超えている。2010年には、その差がさらに拡大している。
*注:所得収支は、海外への証券投資と直接投資からの収益である。
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リーマンショックを挟んだ統計の動きを1年刻みで見てみよう。リーマンショック(2008年9月)の起こった2008年、2009年と貿易・サービス収支の黒字は激減している一方、所得収支の減少幅は相対的には軽微であり、経常収支の黒字を支えている。
このトレンドは止めようがなく、日本企業が投資し、現地法人の経営活動を軌道に乗せ、収益を拡大し、所得収支の黒字を増やしいくことは、日本が海外の成長を国内に取り込めているかどうかの指標となっている。

転換が求められる人材の質と教育の発想

以下の3つは、このような時代を生きる日本産業が追求しなければならない自明のトレンドであり、宿命である。
1. 海外投資からの収益を拡大する
2. 海外投資を呼び込むことによって成長を目指す
3. 事業・製品・サービスの付加価値を高めていく
この3つのトレンドに乗っていくためには日本企業は人材の質と教育の発想を大きく転換させていかなければならない。それは今までの延長線上にある内向きの人材育成の方式では達成できないであろう。そう考える根拠として、現在の日本社会、あるいは現在の日本人の行動原理が、以上の3つとの不整合を起こす局面があることを指摘したい。

論理を使い分けるヨーロッパ

日本は高度の黙契社会である。文書に定められていなくても、法律で決められていなくても成立している社会的な約束事が多く、社会の構成員がその約束を守ることによって社会の秩序が機能している。
米国はその逆である。徹底した契約書社会である。そしてすべて明示的な約束事のもとに動こうとする。そして法で明記されて禁止されていないことは基本的にやってよいと考える。その点は自由なのである。
黙契社会と契約書社会。日米をその両極とするのであれば、ヨーロッパには二つの社会の論理を使い分けるしたたかさがある。
黙契社会では、経営慣行が尊重されて積みあがっていく中から経営システムのローカリティが高くなりがちである。日本固有のローカルシステムに価値を感じて、それを海外でも守ろうとする感覚が強いのが日本企業である。
多くの日本人は「雇用を守る」ということが企業の責務だと思っているし、海外においても相対的に見て、欧米の企業よりも人を解雇することを回避する努力をする。終身雇用、長期雇用保証という日本のローカルシステムを、海外においても守るべきものであるという思想がある。
一方、ドイツやオランダにも、ワークシェアリングというローカルシステムがある。90年代にフォルクスワーゲンが、週28.8時間労働を労使で妥結した。当時、私は現研ヨーロッパ駐在だったが、このニュースを聞いて驚いて、ドイツ労働総同盟を訪ねてその経緯を事細かにインタビューしたものである。
そういう欧州企業が、フォルクスワーゲンであれ、オランダのフィリップスであれ、ワークシェアリングのシステムをアジアで雇用維持のために適用したという事例をついぞ聞いたことはない。逆に大胆なリストラについてはしばしば報道される。欧州の大企業は、欧州で使う論理とアジアで使う論理を明らかに使い分けている。アジアでは徹底した明示的な契約書主義をとる。

日本システム、米国システム―どちらがアジアの若者を惹きつけるか

米国の企業はヨーロッパとは違い、米国式をそのまま海外にも展開していく志向が強い。
雇用に関しては日欧ほど雇用責任を価値観としていないのでアジアでの展開も本国と現地との整合をとるのが楽である。
人事評価―報酬決定システムの基本コンセプトを単純化して日米比較してみよう。

日本―個人の成果は集団に帰属しみんなで分かち合う。その報酬は長期の処遇と集団内部からの「尊敬・感謝」という形で還元される。
米国―個人の成果は個人に帰属し、その報酬は金銭という形で還元される。
この違いは、企業の属する社会の違いでもある。では、これからアジアで展開していこうとする場合、どちらがアジアの人々にとって分かりやすく、さらには意欲的な若者を惹きつけるだろうか。
今までの現実を見る限り、明らかに米国である。
以上の論理を踏まえた上で、日本企業は人事システム、人材活用の制度をつくり上げていく必要がある。

事業開発―完全性の追求の論理が阻害要因に

今の日本企業の課題は、事業を発展させる、新規事業とグローバルビジネスを成功させる、・・・つまり事業開発である。
IT型ビジネスモデルが本格化して以降の事業開発のやり方の世界的な主流はバージョンアップ猛進型である。不完全であってもスピードを重視し、一番で乗り込んでいく。多少のトラブルがあっても、不都合なところはやりながら直して、前へ前と猛進していき、競争相手を振り切る。
このようなバージョンアップ猛進型と対極にあるのが、十分に準備をして完全にしてから進めるという「完全性の追求」の論理である。最近、この論理で取り組む事業開発アプローチは成功しなくなってきている。
これはむしろ、コンプライアンスや品質保証の世界で求められる行動様式である。日本企業は、コンプライアンスや品質保証をさらに厳密に遂行すべき段階に入ってきている。ところが、コンプライアンスや品質保証を企業システムの中に植え付けていく過程で、これらが事業開発の論理にも影響を及ぼしている。コンプライアンスや品質保証の原理でガチガチに思考を縛られた企業風土と人材は、バージョンアップ猛進型の事業開発の舞台で勝負できなくなってきている。

脱線する新幹線と炎上するナノ

分かりやすい例で考えてみよう。中国は新幹線が脱線したら原因究明など一切お構いなしに翌日には同じレールに別の新幹線を走らせた。29万円を実現して世界を驚かせたナノはインドのあっちこっちで炎上事故を起こしている。
安全・安心を重視する日本では絶対できないバージョンアップ猛進型の事業展開を、中国もインドも平気でやっている。それを善とするか、悪とするかを論じることは、日本ではない相手方の社会に出て行って勝負する時にはあまり意味がない。強いか、弱いかが問われる。彼らは強い。スピードが重視される勝負の場合、よほど工夫をしないと我々は勝てないということを意識すべきである。

ここまで、雇用の考え方、評価・報酬システム、そして事業開発の方式を、順次検討してきたが、日本の場合は、国内事業推進の論理と海外事業推進の論理とのギャップがどこの国よりも大きいということを肝に銘じなければならない。

高付加価値をめざし「顧客を選ぶ」という選択

今まであまりにも全方位的に顧客志向の強い商品づくりをやってきた。顧客適応しすぎのきらいもあった。象徴的な例がルネサス・エレクトロニクス。すべての自動車メーカーがルネサス・エレクトロニクスに依存し、東日本大震災に被災すると、日本のサプライチェーンが分断されて大騒ぎになった。それほど重要な戦略部品を一手に引き受けながらそれまで大赤字を出し続けていた。
日本では、なかなかステイタス・ブランドが育ちにくい。ウォークマンはつくれてもココ・シャネルのようなブランドはつくれない。顧客優先でどんどんモデルチェンジしていくからである。米国にもその傾向があり、ムスタングがアメリカ車として、ある一時代に輝きを放ち、ステイタスを獲得しても、それを長期に続けていくことはできなかった。クラッシック・カーとしてずっと乗り継がれていくロールスロイスにはなれなかったのである。
なぜだろう。今までヨーロッパの会社と付き合ってきて思うのは、彼らは「顧客を選ぶ」ということである。これが俺たちのやり方だからついてこなかったら買わなくてもいいよと言い切る。それが付加価値化の一つのポイントになっている。分かる人だけ買ってください…。
ずいぶん傲慢だが、この姿勢の果実はステイタス・ブランドとして相対的な高価格が維持できるということに留まらない。実はコスト効率も高いのである。たとえばメルセデスベンツ。ずっと同じ型の金型を使って、何十年と変わらない部品で車を作り続けるので、つくればつくるほど、投資を回収してさらにキャッシュが積みあがっていく。
日本企業はお客様の要望に応じてどんどん仕様変更を受け入れ、どんどん型を変えていくので、絶えず投資コストがかかる。顧客との関係性を重視し、我々が顧客を選ぶのではなく、顧客から選ばれることに腐心する。
この姿勢は局面によっては見直さなければならない。我々が今後グローバル競争の中で高付加価値をあげていく事業モデルをつくるには、時には「顧客を選ぶ」態度も必要になってくる。

以上、事業戦略を牽引する人材構想の条件として、日本企業に固有な論理や行動姿勢が、実はグローバル展開においては多くの齟齬を生むという面を検討した。このような状況を打破するために人材育成も根本から発想を変えなければならない。
これからの10年を、私たち日本企業が生存を賭して若手リーダーを鍛える10年にしていきましょう。

(出典:2011年12月1日 第47回総合研究会「2012 次の「新成長力」基盤の創造へ」より。講師:大槻裕志)